株式会社 九重本舗玉澤
十四代目 代表取締役
近江 貴生
九重本舗 玉澤について
延宝参年(西暦1675年)弊舗の初代、玉澤伝蔵が仙台藩 第四代藩主 伊達綱村 公の招きにより近江の国(現在の滋賀県)から来府し、仙台藩のご城下・国分町に「御用御菓子司」として開業いたしましたのが"玉澤"の始まりです。
藩政時代、店を構えたご城下・国分町の横丁はいつしか"玉澤横丁"と呼び交わされるようになり、ご城下の人々に菓子作りの玉澤として親しまれた様子が伺われます。
明治三十四年、明治天皇の仙台行幸のおりには創製中の菓子を献上し、お供せられた東久世通禧公より万葉の古歌にちなんでこの御菓子を「九重(ここのえ)」と命名いただきました。現在、弊舗の商号としても皆様にお馴染みとなっております「九重」はこの時より始まった御菓子です。
大正時代の初めには市内・名掛丁(なかけちょう)角に店舗を設け、新たな"玉澤横丁"として大正~昭和にかけて世人より特別に親しまれて参りましたが、戦後、都市計画のため仙台駅前・南町通りに店舗移転し、昭和二十五年、株式会社九重本舗 玉澤として法人に改め、現在は仙台市太白区郡山に本社・工場を設けるに至っております。
こうして初代伝蔵の開業以来、累代藩主のご用命を賜り、また東北・宮城・仙台の皆様よりご愛顧いただき、当代に至るまで実に十四代を数え、三百余年の長きに渡って和菓子作りの業と伝統を守り続けて参りました。
玉澤・初代伝蔵とこんこんぎつね
代々語り継がれてきた逸話【こんこんぎつねの恩返し】
初代・伝蔵は菓子作りの仕事に励むかたわら、日々徳を養い、神仏を信ずる心を持った人でした。そんなある日、墓参りの途中で、道端に苦しんでいる一匹のきつねを見つけました。哀れに思った伝蔵は持っていた薬を与え介抱したところ、まもなくきつねは元気になり、名残惜しそうに何度も振り返りながら去っていきました。
やれやれ・・・と安心した伝蔵が帰り道を急ごうとしたところ、その足元に小さな分銅金が残されているのに気づきました。「これはきつねの恩返しに違いない」とこの分銅金を持ち帰り、屋敷内に神社を奉って朝晩の祭礼を欠かしませんでした。
これ以来、玉澤の菓子作りはその技を極め、商売はますます繁盛したと伝えられます。
現在でも、玉澤社屋には江戸時代の作といわれる初代の木像が安置され、季節ごとの着物を着替え、朝晩欠かさずにお茶と御菓子を供え、伝蔵の築いた菓子作りを守り続けております。
玉澤の菓子作りの心を表す逸話を通じ、代々の当主に培われた製菓技術と創造より生み出された御菓子は、初代・伝蔵から長い時を経てお客様より育まれましたご愛顧の賜物でございます。
九重本舗 玉澤の菓子づくり
延宝参年(西暦1675年)弊舗の初代、玉澤伝蔵が仙台藩 第四代藩主 伊達綱村公に近江の国から招かれ、仙台藩のご城下・国分町に「御用御菓子司」として店を構えて三百余年を数えました。
この間、代々の当主に受け継がれて参りました「お客様に喜ばれる御菓子」作りへ向かう姿は、創業より続く【九重本舗玉澤の伝統】でございます。
いにしえより九重本舗玉澤に伝わる製菓技法へ今日の創業と技術を加えながら、初代伝蔵が志した“菓子作りの心”をこれからも末永く大切に育て、お客様のお手元へ一つの御菓子としてお届けして行きたいと考えます。
九重本舗玉澤 主人敬白
会社概要
会社名 | 株式会社 九重本舗玉澤 |
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本社所在地 | 宮城県仙台市太白区郡山四丁目2番1号 |
電話番号 | 022-246-3211(代表) |
代表者 | 近江 貴生 |
資本金 | 1,000万円 |
創業 | 1675年 |